先生という職業

楽しそうだが金にならない

新しい技術を習得するのではなく、教え方、教育に大きな労力を使うことになる


だからこそありがたい
知識はみな誰かに教えてもらったものだから
親もそう


大学教授は先生ではない
教えることより自分がやりたいことを追求している人がほとんど
だからこそ受動的に教えてもらうのではなく、こちらから聞かないと得るものは少ない

 

教えるため、育てるために教授になったのではなく、自身の好奇心を追求するためだから

毎日レポート出して、年中毎日24/7添削してくれる人がいるだろうか

卒論修論書くときはそうかもしれないけど、それはゴミ文章だと教授自身の箔が落ちるから仕方なくやってるように見えなくもない

 

僕は自分で何か作ってお金儲けしてみたい

カネカネってわけじゃないけど

考えること、作ることに対して、完成することと報酬がもらえることがインセンティブに感じる

ただ、これはいつか飽きそう

実際飽きるときがある

 

人に教えて、その人が立派に成長したら

それはすごく自分の尊厳が保たれるというか、なんて言ったらいいかわからないけど満たされそう

でも、それはものづくりより果てしなく長い年月が経ってから達成されるもの

 

例えばLED発明して何年も経ってからノーベル賞で称えられるようなもの

「開発したときに、使った研究費がもらえるとかでなければ全然意味がない。今さら賞もらっても嬉しくない」って誰かが言ってたような

 

そう考えると、先生って偉大だよね

否定するなら改善策まで述べよ

思いついた

モットーにしよう

 

ただ否定するのは簡単だし、話し相手も同じ意見なら共感が得られる

改善策まで考えて言うと、話し相手はそれについて吟味しなければならない

 

しかし、Twitterやら日常会話で、そんなまじめに、自分にとって遠い話の問題点の改善策を考えなければならないのは面倒くさい

だから、改善策まで述べると共感を得づらい

 

SNSとか日常会話は会社の会議じゃないんだから、そういう浅い話でいい

だけど、否定して終わりだと、共感しか得られない

つまり、その場の小さな幸せしか得られない

もちろん仕事や人間関係が辛いときは、共感を得て精神を健康にする必要はある

 

改善策まで述べれば、どうなったら幸せになれるんだろう、誰が何をしたらよくなるんだろうと言うところまで考えることになる

つまり、いい方向に持っていくための思考をする

そして、そういうポジティブ方向の思考は、考えるだけでもポジティブになる

 

逆に、不満を言うだけなら、不満になる材料をひたすら集めることになる

ここで確証バイアスが働き、良いことがあっても、それは不満の材料ではないから見て見ぬ振りをする、見ても忘れてしまう

 

例えば○○さんが嫌い、という話をするとき、○○さんがしてくれた良いことや優しかったエピソードは、話のネタには入らない

さらに嫌いなところの粗探しが始まる

〜〜をしたから嫌い、ではなくて、嫌いだから〜〜って言ってくるし、〜〜してくるし、という発想になっている

 

もし、○○さんが嫌い、だけど居心地が悪いからどうにかしたい、という話になるならば、

たしかに〜〜はイヤミだったけど、〜〜してくれたりして本当はいい人なんだね、とか、〜〜してたのは、ただ機嫌が悪かっただけ、こっちも態度が悪かった、とか、いい方向に向く

 

 

「否定するなら改善策までのべよ」の悪いところは、疲れてるとき、共感を得たいだけのときに、無理して改善策まで考えなくてはいけないように聞こえること

嫌いな人がいるならそれでいい、好きにならなくていい

いつもポジティブに考える必要はない

 

ただ、否定で話が終わっているSNSや会話に遭遇すると、聞いてるこっちが負の世界に引っ張られている感じがして嫌になる

たしかにあなたがそう感じて嫌になってるのはわかる、だけどそっちに引っ張らないでくれ

あなたは共感されて嬉しいかもしれないが、聞き手は負のエネルギーを与えられている

 

もちろん"バカ"相手に、「こういう悪事を働いた悪者がいるんだ、ヤバイよね」って言って、自分は理(ことわり)を見つけたんだ、すごいだろ?わかるだろ?って共感もらって満足するのは楽しいだろう

 

 

 

.............うん、楽しいな

だからSNSをやっているんだね

 

そう、なにか真理を見つけてバズってるツイートって、人を"バカ"にしてる感じあるよね

 

一つの物事が140字で表せるわけないのに

なぜなら物事には必ず人間が関係していて、その人たちが生きてきた何十年をそこに凝縮できるわけないから

 

 

 

 

じゃあこのことについて改善策を考えるか

 

→「気に食わないツイートを見ない」

 

あ、確証バイアスだ

新しい技術がもたらすリスク<その規制がもたらすリスク

未知なものを想定するのは難しい。

 

自動運転とかブロックチェーンとか新しい技術が出ると、すぐにコストをかけて、リスクを気にして規制やルールが決められる。

 

だけど、その規制やルールを気にして技術が進歩しない方がリスクじゃないかな。

 

自動運転で毎日一人事故が起きるようになったら規制すればいい。

仮想通貨でマネロンが日常茶飯事になったら規制すればいい。

 

犠牲が出るんだったら先に止めておけって?

 

そんなの、取扱説明書に書いてある大量の注意事項と同じで、使う人は読まずに使う。大量の注意事項に怖気付く人は使わない。

 

むしろ、中途半端に規制されることによって、技術が有効活用されるプロダクトの開発に、コンプライアンスが超絶邪魔になることが問題だとここでは言いたい。

 

それに、自動運転でどんな事故が起こるか、仮想通貨でどんなマネロンがされるかを、まだほとんど行われていない段階で完璧に網羅して考えるのは不可能。無理。絶対無理。

 

 

ここから超分かりやすい例え話。

例えばあなたが、無能が書いた退屈なA4の企画書を適当に折っていたら、飛行機みたいに飛ぶものができたとする。そうだ、これを紙飛行機と名付けよう!これを売ろう!(紙飛行機がまだ存在しない世界とする。)

 

そこで政府が、「紙飛行機?先が尖ってるじゃ無いか!人にぶつかったら危ない!規制だ!」と言って、「人に向かって投げたら罰金」という法案を施行したとする。

 

数年後、紙飛行機は折り方にバリエーションが増えて、先の尖ってない紙飛行機が開発されるとする。(そんなもの工夫すれば作れるよね。でも法が制定されたとき、それは想定されていない。)

 

尖ってないから万が一当たっても怪我の心配はないから、キャッチボールみたいに向かい合って投げて遊ぶ使い方もできるのに、人に向かって投げてはいけないと法で定められている。

 

せっかく作った企業はその商品を売れなかった。10年後、この商品を考慮して、「紙飛行機を人に向かって投げたら罰金。ただし先の尖ってない紙飛行機はこの限りではない。」と法が改正された。しかしその企業はそこまで息が持たず廃業してしまった。

 

もしくは別のシナリオ。

先の尖ってない紙飛行機の折り方を思いついた。そしてキャッチボールみたいな遊び方ができると想定される。しかし、人に向かって投げるのは違法。リスクがあるので企画段階で却下され、商品化にすら至らなかった。

 

 

新しい技術がどんな使われ方をするのかわかるわけがない。

そもそも、それがわかるような天才だったら、商品化できるはず。

それに、策定のための有識者会議に呼ばれる人たちは、「そうですね。〜〜さんの仰る通りです。」と言い合うだけの老人で、最近の知識を持っているかどうかも怪しい。(と大学の教授が言っていました)

 

 

まとめ

事故、事件が起きた時、裁判や操作でどうせ法の解釈次第になるんだし(兵庫県警サイバー犯罪対策課然り)、それが正しい解釈になるかはわからないんだし(兵庫県警サイバー犯罪対策課然り)、あらかじめ法を定めるのは難しい。

法の制定は、お偉いさんのエゴや責任回避のため。あらかじめ禁止にしておけば、「なんで禁止にしなかったんだ!」と責められないから。

だけど、そうやって新しい技術が未熟な段階で、リスク回避のために制限すると、その技術を活用する人や企業を抑制してしまう。

 

じゃあどうするかと考える。

お偉いさんとコネを作って法改正に動いてもらうしか今のところ思いつかないや。

あ、メディアを使って"世間"を動かすのもいいかもね。

いや、一般人に新しい技術の良さと、それが規制されている悩みが分かるわけないか。

 

自分が政治家になって、支持者を集めればいいのか。

それはなんか面倒だからいいや。そんなさらさら気ないけど。

技術者でいたいのに政治家になったら目的がよくわからなくなる。

マジックマネー

ダメな人間はいる

 

あんたも

 

だから宝クジが成り立つ

 

運にすがるしかないとわかってるはずよ

 

馬鹿で救いのない意気地なし

 

認めて

We both kow, that I know, you know,

 

私は、あんたより優れた人間よ

I am too good for you.

 

... Auch!

会社の文句が口癖ですか?

今日のポエム。

 

お前が会社の文句を言っているのは、会社の待遇が悪かったり、残業が多いのに賃金が低かったりするからなのはわかる。

 

だけど、それはお前が効率よく働いてないからじゃないか?

 

文句ばっかり言って、効率よく、会社の利益を考えて行動していないから、会社の売上が上がらず、賃金も上がらないんじゃないか?

 

お前が会社でミスを犯しても、会社が賠償金を肩代わりしてくれる。そういうリスクを受けて守ってもらってもいるんじゃないのか?

 

あまりにも環境が悪いから文句を言っているんだって?だったら何故やめないのか?金をもらって結局満足しているんじゃないのか?

 

目安箱から社員のクレームを取り出して、会社が対応する。それを繰り返しても、社員が自分の要望が通ったと喜んでまた同じことを繰り返す。この保守スパイラルを生み出してるのはお前じゃないのか?

 

他のやつも文句を言っている、自分だけじゃない。そう言うなら会社の環境を良くするためにどうするべきか、お前が考えろよ。

 

なんで自分だけ、って思うなら、一生そのまま文句言ってろよ。

 

 

言いたいのは、文句じゃなくて、解決策を、改善策を考えてみたか?ってこと。

SNSを見てみて。少ない文字数に思いを凝縮するには、共感してもらえる"不満"さえ書けばシェアしてもらえる。解決策なんか聞きたくないんだね。脳は現状維持を安全とみなし、変わることを恐れるからね。

 

それをあなた自身もやってはいないか?不満を撒き散らして、共感を得て満足。

 

ま、それで満足するならいいのか。あなた自身はね。

今回の場合は会社、そうでなくとも、文句をぶつけられた側は、あなたの承認欲求の素材にされて、どう言う気持ちになるだろうか。

メディアや強そうに見える人間に影響される人間

今日のポエム

 

芸能人が自分の思ったこと大声で言ってる番組を見ている人は、

賛成意見に対して確かにそうだ、反対意見に対してそれは違うだろとか確かに一理あるな、と考えるのはいいが、

〇〇さんは意見をはっきり言うから好きだ、前同じ意見だったし。みたいな見方で、自分が持っていた意見と違うことを言っていたときに、そうなのか、多分この人が言っているから正しいんだろうな、という様に影響されてしまい、〇〇氏の真似をするオウムになってはいけない。

完全に正しい人なんていないんだから、自分の中で信頼している人だからと言って全てを鵜呑みにしてはいけない。そのうち自分の芯にあった本当の考え方との矛盾が生まれ、しかしその原因には気づけないから矛盾を見逃すことになり、結局その場しのぎの都合のいい解釈しかできない、確証バイアス人間になってしまう。

そうは言っても、人を信頼するなと言っているわけでは無い。人が言っていることが正しいかどうか毎回考えるように、と言いたいのだ。

 

この突発的に思いついた文章は、果たして誰に影響されてできたのだろうか。

あなたがこの文章を読んで感じた直感は、本当に本当のあなたの芯から生まれたものだと言えるだろうか。

「若者は〇〇説」がデータも無く生み出される理由の一つの可能性を思いついた

 

さっきテレビ観てたとき↓


ニュースキャスター「毎年渋谷のハロウィンが荒れている。昨年は若者が軽トラを倒して騒いだのが問題に。そこで渋谷で酒の飲み歩きを禁ずる条例を検討中。これに対し街の反応は」

 


僕 (ふーん、いいんじゃない?)

 


50代サラリーマンA「いいと思います」

 


僕 (あー、わかったわかった、どうせあれだろ?先におじさんが賛成意見を言って、次に若者が反対意見を言ってるところを見せるんだろ?)

 


20代若者B「反対です」

 


僕 (それみたことかバーカ。これだから、「これだから若者は」って言う奴が増えるんだよ。)

 


ここで該当インタビューのVTRが終了

 


僕 (は?二人にしか聞いてない訳ないよな。色々な人に聞いて、その中から意図的に二人を抽出しているということだ。このVTRを見た人は、おじさん達はみんな賛成、若者達はみんな反対って思うだろうな。そこまで思わなくとも、あぁ若者は新しい意見なんだなふーん、みたいには感じるだろうな。みんながみんなそうと言うわけではないのに。)

 


ニュース番組に対する怒りを込めて、ポチッと電源ボタンを押す

 


僕 (あぁ、「若者は〇〇説」っていうのはこうやって生まれるんだな。若者はみんな昭和生まれのおじさん達とは違う意見なんだと、そう思わせている。一つのニュース番組だけでは「若者は〇〇説」ってのは出なくても、小さい偏見が潜在意識レベルで積もりに積もって、「平成生まれは昭和生まれと違う(劣る)」ていう極端な意見を思いついてしまうんだろうな。ある種の洗脳だ。データが無いのは明白。どこで見たかは身に覚えがない、しかし感覚的に正しいような気がしてしまう。)

 


僕 (「ゆとりだから」っていうのは、「昭和に比べて平成が劣る」という考えに明確な根拠が無いから、関係ありそうな教育課程の違いを引っ張り出して理由にしてるだけなんだろうな。そんなのさ、「肌の色が黒いからアフリカ人。日本みたいな教育を受けていない。日本人より劣る。カタコト。」っていうような理屈の無い人種差別と同じようなことじゃない?バカだね、日本はもう滅びるんじゃない?いや、もう滅びているね。)

 


僕 (ゆとりの話は置いといて、なぜVTRがそういう編集になっているか。そりゃ番組を作っている人が、そういうVTRを世間は欲していると考えているから。いや、編集者自身がそうであって欲しいという思いがあるんだろうな、どうせ若者はっていう。そりゃそうだ。おじさんが「街歩きながら酒飲みたい」と答え、若者が「酒飲み歩き禁止は賛成!」と答えるVTRだったら、ん?てなるもんね。だから仕方ないのかな。とは言えど、このVTRを見たら僕ですら「これだから渋谷の若者は」って、何も考えていなければそう捉えていたかもしれない。せめておじさんでもおばさんでも「禁止はかわいそう。ハロウィンくらい、特定の通りは飲み歩きOKとかにしたら」みたいな肯定的な意見があればいいのになぁ。まあ、そんな意見がなかったのか、尺がなかったのか、知らないけど。)

 

 

 


新しい、または少数派にみえる意見は若者に言わせる風潮。

例えば「車を持たない」「酒を飲まない」「やる気がない」など。果たしてそれがデータを伴って紹介されているかというと、ほとんどそうではない。

街の声、と言って、都合のいい答えを繋げて見せているだけだ。

待て待て、晩婚化が進んだのはどの世代からだ。出生率が下がったのはどの世代だ。中国にGDPを抜かれてボーッとしていたのはどの世代だ。

いや、黙っておこう。

そんなこと言ったら、「まーた若者は、年功序列がわかってない」って言われてしまう。

はい、すみません。すみません。

 


編集者が、「若者は〇〇って言ってる」と思わせようとしていなくとも、視聴者はそう感じてしまう。

そういうギャップが、知らないうちに世間の意識をかなり変えていると思う。

 

 

 

 

 

僕 (あー、テレビばっかり見てたら"一般人的"な、"常識的"な考え方にはなりそうだが、同時にバカになりそうだな。前々から嫌にはなっていたけど、もうニュース番組見るのは止めよう。)

 

 

 

"こうして若者はテレビ離れをするようになったとさ。めでたしめでたし。"